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我が国で 初めてガラス板が製造されたのは、18世紀後半、泉州(大阪府)佐野においてと言われていますが、当時の鬢鏡(懐中鏡)から鏡台、さらには建築用大型鏡への需要の拡大とともに日本の鏡産業は大きな発展を遂げてきました。  
 さらに、素材である板ガラスがフロート板ガラスの出現により、高品質のものが量産されるようになり、生活水準の高度化とともに鏡の需要と要求品質が高くなってきました。
 しかし、それまで鏡製造業者のほとんどは家内工業的であり、手工業にたよっていたので、労働力の不足から、安定した品質の製品を多量に且つ安価にという時代の要求に応じきれなくなってきたのです。
 そこで鏡産業界では、協業化によって、最新の技術による工場を建設し、生産性と品質の向上を図ろうという動きが出てきました。そして、昭和41年末にセントラル硝子鰍ェ同業者の共同出資により三重硝子工業を設立、次いで昭和43年に旭硝子鰍ェ同じく「サンミラー」を、日本板硝子鰍ェ「ハイミラー」を相継いで設立しました。
 これら3社は、西欧からの技術導入による量産製法を採用しており、銀膜の保護のための裏止めとして、従来のカゼイン塗装に代え、銅メッキをし、塗装するのが特長です(通称銅引き鏡)。こうして昭和44年には、これら3社による新製法の高級鏡が出そろい、現在に至っています。


参考資料:「鏡の鑑」 昭和44年 全日本鏡工業協会, 板硝子協会
「日本ガラス鏡工業百年史」 昭和46年  先田与助
協業化への動き
日本に銅鏡が伝わったのは紀元前後で、中国より持ち込まれたと言われています。国産の鏡が作られだしたのは3〜4世紀の頃からで、最初は中国の真似であったのが、日本人の好みに合わせるようになり、奈良時代になると鏡を作る技術も進歩して、中国(唐)製のものに負けないくらいになりました。
 ガラス鏡は、天正18年(1549年)にポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが贈り物として初めて日本に伝えたと言われています。日本で初めてガラス製が作られたのは18世紀後半、泉州(大阪府)佐野においてであるといわれており、いわゆる鬢鏡(びんきょう)或いは懐中鏡といわれる小さな物で、その大きさは20cm角程度でした。明治にはいって、欧州から板ガラスが輸入されるようになると、ゆがみのない大きな鏡が作られるようになりました。
 その後、それまでの水銀法に代わる硝酸銀法が伝えられ、さらに磨き板ガラスの国産化,鏡台の普及と共に、日本の鏡産業は大きな発展を遂げ、現在その技術水準は世界に肩を並べるに至っています。
日本では
1317年にベニスのガラス工が、水銀アマルガムをガラスに付着させて鏡を作る方法を発明してから、ガラスを用いた反射の優れた鏡が生産されるようになりました。これはガラスの上にしわのない錫箔を置き、その上より水銀を注ぎ放置して序々にアマルガムとして密着させ、約1ヶ月後に余分の水銀を流し落として鏡として仕上げる手間のかかるものでした。
その後、1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなった、ガラスの上に硝酸銀溶液を沈着させる方法を開発し、品質,生産方法共に高度に改良された製鏡技術が出来上がりました。さらにその製法は機械的に高度化され、今日見られるような自動連続製鏡方式まで発達したのです。
ガラスの鏡
最初は水の鏡だったと考えられます。古代の人々は池や水たまりの水面に自分の姿形などを映しだしていました。その後、石や金属を磨いて鏡として使用していたことが遺跡発掘などから分かってきました。現存する金属鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)の鏡があります。金属種は、銅を主体とした合金で現在の手鏡に形が似ています。(銅鏡と呼ばれています)
もっとも古い鏡
現在では鏡は生活の中にとけ込み、無くてはならない存在です。しかしどこで作っているのか、どのように作られているのか、いつごろから使われているのかなどその実体については以外と知られていません。そこで、文献(『鏡の鑑』全日本鏡工業協会、板硝子協会編等)や当方で蓄積した知識から、鏡についての簡単な知識をご紹介します。
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